大野川緑陰道路について
2002.4.20
 西淀川区役所が96年度に実施した住民意識珊査によると、「区内の施設や文化・歴史・自然環境などで自慢できるもの」の第一位に「大野川緑陰道路」があげられています。
「大野川緑陰道路」は、歌島の八丁大橋跡から百島の淀の水橋跡まで全長3.8kmあり、その間の幅員は19m〜47mあります。そして高木約1万本、低木約12万本の100種類にも及ぶ樹木があり、その中には30数種類の薬用植物もみられるようです。

 もともとの大野川は、神崎川・中島大水道(東淀川区淡路本町からの水路)と新淀川を結ぷ、全長2393mの川でした。戦前は、舟運水路・かんがい・利水・治水などを中心に、地域住民にとっては重要な役割を発揮し、水もきれいだったようです。しかし戦後、高度経済成長とともにどんどん水質が悪化し、次第に悪臭漂うヘドロの川に変身していきました。
そんな中、姫島府営住宅の住民をはじめ、「ヘドロの川と化した大野川への対策」を求める声が大きく打ち出されていきました。そして大阪市は、1968年(昭和43年)3月、大野川を埋め立てて高速道路を建設する計画を発表したのです。

 もちろん、このころの西淀川の大気汚染公害は深刻な状況にあり、大きな公害反対運動が進められつつありました。

 そんな折に、もっと空気を汚す高速道路の建殻計画が発表されたわけで、こんな計画は絶対に認められないとして、幅広い「高速道路建設計画反対」の住民の声が沸き起こったのも当然でした。

 その後大阪市は、こんな声に押されて、「高速道路計画」を「燃料パイプライン建殻計画」に変更しようとしましたが、住民はもちろんこれにも反対をしました。

 当時の日本共産党の大阪市会議員団長であったくつぬぎタケ子さんを先頭に、約2年近い区民の粘り強い運動によって、大阪市はついに「高速道路建設計画」も「パイプライン計画」も撤回し、「緑陰道路計画」に変更したのです。大野川を埋め立て、「暗渠」と呼ばれる大きな下水管を地下に敷設し、その上に歩行者と自転車専用道路をつくり、公園的な施設も加味した緑地帯にする計画へと変更されたのです。

 工事は、埋立工事が1970年(昭和45年)から、緑陰道路整備工事が71年(昭和46年)から始められ、79年(昭和54年)に全線が完成しています。そして、工事費としては、埋立工事で約11億5千万円、緑陰道路整備工事で約12億7千万円かかっています。

 1998年(平成8年)に 発行された『西淀川区史』には、「悪水路を緑化して自転車道と歩行者道に改造したのは、当時全国最初の試みであり、住環境整備の世輪が高まるなかで、大きな話題となった」と記されています。

 私は、今も区民から愛される大野川緑陰道路を誇りに思うとともに、区民の声と民主的な運動によって「高速道路計画」から「緑陰道路計画」に切り替えられたという歴史の事実に、一番の自慢と誇りを感じます。


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日本共産党西淀川区委員会
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